私はこの記事を書いている時点で53歳になります。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」好きな言葉なのですが、言われたのは16世紀で昔の話。
今や人生80年、もしくはそれ以上です。
50代になって体の変化、気持ちの持ちよう、仕事内容など変わっていく中、どうせ歳を重ねるなら良い歳の取り方をと思います。
これから50代になる方へ、また今まさにドンピシャ50代の方に見ていただければと思います。
ここでは「7つのキーワード」としてあげています。
50歳を超えると年をとるのも悪くない
学生だった頃、50歳の男性を見れば「おっちゃんで、もうええ歳やん」「なかば”じじい”に足を突っ込んでいる状態」と思っていました。
でもいざ自分が50歳になったら”中高年”というのがピンときません。
「人生の後半戦」といわれますが、いつ折り返したのか?
確かに体力は落ち、気力を保つのにも多少のテクニックが必要になってきました。
しかし、だからといってできることが減った感じはしません。
これはやせ我慢でも何でもありません。
”あっちがダメでも、こっちがある”、無いものを思うことより、創意工夫できる範囲が広がったように思います。
年を取るのも悪くないと思える理由を見ていきたいと思います。
50代になり確かに体力は落ちました
50歳を迎え一番最初に思ったのが「体力が落ちた」ということでした。
周りの人も言っています。
「50歳になってガクンと来た感じ」
先輩からは「60過ぎると、さらに来るよ」とのことです。
これからは10年ごとに感じるらしいです。
個人差もありますし、トレーニングをするなどある程度補えるところもあります。
でもま~普通なら
- ちょっと動いたらどこかしらか痛みを感じる
- 身体が昔ほど自由で無くなった
- 体力が落ちた
- 視力が落ちた
- 腰が、肩が痛くなりやすくなった
など出てきます。
こればかりは仕方ないですね。
少しでも体力を落とさないよう、せめて週1・2回は1時間程度の運動を心がけています。
気力を保つのにも多少のテクニックが必要に
体力ばかりではなく、ほっておいたら気力を保つのもなかなか、いろいろなことが気になり、気が散るようになってきました。
「1つのことに集中し始めたら時間が経つのを忘れて・・・」ということが減りました。
ただ、これはちょっとしたことである程度改善できます。
軽く運動、体操をしてから取り組む
頭だけ使っていると行きずまった感が出てきます。
体と頭、体と心は連動しているといわれています。
そこで、まずは軽く運動をしてから机に向かい集中すると結構集中力が持続します。
軽い運動、またはラジオ体操的なことでもいいんです。
体を動かすということが大切です。
体を使う→頭を使う→体を使う→頭を使う、を繰り返すと効率よく物事が進みます。
整理してから取り組む
歳を取るとどうしても”あれやこれや”とついつい不要なことまで考えてしまします。
そこで考えるのもを意図的にできるだけ少なくします。
”整理する”には「ものごとの整理」と「頭の中の整理」があります。
「ものごとの整理」では、机の周りや、作業環境を整え、できる限り今必要ないものは見えないようにします。
不要なものを視界に入れないことで、集中力が高まります。
「頭の中の整理」では、日々考えていることや、ふと思ったことなどを書き出すようにします。
書き出すのは、ノートや手帳、メモ用紙でも良いですし、パソコンやスマホのアプリでも構いません。
私は書かないと覚えないので手帳を持ち歩いています。
近々に必ずやるべきことは手帳に書き留めます。
それ以外のこと、「これ今度やってみよう」「あれどうだったけ?」というようなことはgoogleのKeepに書き留めています。
Keepなら無料で利用でき、入力も簡単でスマホでもパソコンでも見れるので便利です。
とりあえずなんでも書き出すということをしておけば、頭の中の考える容量を減らすことができます。
壊れかけのパソコンのように”ちょっとしたことで考え込んでしまって固まる”ということを防げます。
”今すぐには不要なこと”はメモやKeepに一旦預け、”今必要なこと”に集中できるようになります。
何かに集中しているときに「あっ、あれどうしよう?」とついつい違うことが浮かぶこともありますが、頭の中に残しておかず、すぐにメモやKeepに一旦預ける癖をつけると集中力を保つことができます。
瞑想も良い方法です。
良ければこちのページも見てください。
50代からの1分でできる簡単瞑想でモヤモヤを解消し頭をクリアにする方法
時間を決める、または目標を決めて、できた時の自分へのちょっとしたご褒美も決めておく
大きな目標に向かって取り組むと、どうしても気力が続きません。
小さな目標に細分化してから取り組むことで、「まず、ここまでやってみよう」と思えるようになります。
よくマラソンにたとえられますが、最初から42.195㎞を走り切ろう!ではなく、しんどくなったときには「次の電柱まで頑張ろう」と身近なところに目標をもっていく方が走り切れるといいます。
ただ「何時まで頑張ろう」「○○までやろう」と決めるだけでは弱いんです。
ちょっとしたご褒美をイメージすることで気力が続きます。
- 11時までやったら一回休憩してコーヒーを飲むぞ
- 昼まで頑張って、昼食には天津飯を食べに行こう
- レポートを書き上げたら30分だけ散歩に出かけよう
など、ほんのちょっとしたご褒美を自分に与えるようにします。
もちろん、大きな目標達成には大きなご褒美を用意しておく方が良いですが、日々のちょっとした作業の中でもちょっとしたご褒美を設けておくことで気力、集中力もアップします。
年をとることで経験値が増え、以前よりできることが増える
体力・気力がといっていたら年をとるのはやはり辛いといわれそうですが、実はそうでもありません。
年をとるということはとりもなおさず、それだけいろいろな経験をしてきているということです。
経験値だけは若いものには絶対に負けません。
最新の脳の研究によると、50代は知識、経験にもとづく判断力、思考力、統率力が最高に達する年齢なのだそうです。
今している趣味や仕事でも振り返ればずいぶんといろんな経験をさせてもらってます。
この経験は奪われることもすたれることもありません。
たとえ仕事がリモートになっても培ってきた営業手法やトークは生かされるでしょう。
コンピューターのシステムが入れ替わっても根本的なことは揺らぐことはありません。
いろいろな経験を経ることで仕事の範囲が広がった
まずは仕事関係ですが、1年2年ではできないような様々な経験を経たからこそ、たとえ例が無い案件でも動じることなく的確な指示ができたり、動きが取れたりします。
仕事の守備範囲も広がりました。
新しいことにチャレンジしていくにも、気を付けるべき点や押さえておくべきポイントなんかが勘どころとしてわかるようになります。
任されることも多くなります。
いろいろな経験を経ることで人間関係も楽になった
仕事だけではなく、いろいろな場面での人間関係においても経験がものをいいます。
これまで好き嫌いに関わらず様々な方々とのお付き合いを経たことで、気を付けるべき事柄やうまく距離を置く術も身に着けることができたように思います。
また、年齢ということもあり回りも無理強いをされることがなくなりました。
いろいろな経験を経ることで発信者になれるようになった
仕事、趣味、地域などにかかわらず、多様な経験をさせていただいたことで、その経験を伝える側になってきました。
自ら先頭に立って動くのも良いですが、後方から知恵を伝えて皆さんに動いていただくことの方がより多くのことができるようになります。
自分が経験したことや先人から引き継いだことを後世に伝えるのもひとつの役割だと思います。
いろいろな経験を経ることで効率的にものごとに取り組めるようになった
50代にもなると判断が早くなります。
経験値をもとに何が大切かを図り、効率的に物事に取り組めるようになります。
ある程度俯瞰して物事をとらえることもできるようになりました。
自分が経験してきたことだけに、後進の方がどこでつまずくのかもわかります。
(経験しておいた方が良い失敗もありますが、)早めに手を差し伸べることもできます。
いろいろな経験すればするほど涙もろくなった
人生経験が豊富になればなるほど涙もろくなってきました。
感情移入しやすくなるというか、良くいえば感情豊かになったのだと思います。
社会的地位を預かり新たな経験も増える
仕事ではもちろんのこと、子供が大きくなり巣立っていくと地域の行事参加や各種団体の役などが当たってきます。
会社以外でも同じ業種に長くいると、同業者の組合や協会のお役をいただくこともあります。
地域にしても、同業者にしても今までにない人脈作りができるようになります。
しかも、最初からある程度の地位を預かることになり、今まで考えもしなかったことができるようになったりします。
一人や一社では成しえなかったことをさせていただけるのは大きな成長となります。
こういったことも、40代、50代という年齢になり、様々な経験値を社会から認められたからだと思います。
若さを失うのではなく歳を重ねる
人間、失ったものを振り返るばかりでは面白くありません。
時はほっておいても経つもの。
しかも、みんなに、平等に。
ならば、”若さを失った”と考えるより、”歳を重ねた”と考える方が得るものが多いように思いませんか。
良い歳の取り方をしている人は失ったことを数えたりはしません。
若き日は帰りませんが、決して失っているわけではなく、積み重なり今の自分がある。
50代のこれからも、日々いろいろな経験をしていく中でこれからの自分を作り上げていくのです。
「過去の自分は今までしてきたことの結果、明日の自分は今日の自分の結果」といわれます。
まさにその通りで、それ以上もそれ以下もありません。
良いも悪いも過去は消えません。
積み重なっていきます。
良いもの、良い人、良い時間をたくさん重ねることでまだまだこれからも良い人生を送れると思います。
良いもの、良い人、良い時間をたくさん重ねると品格がつく
良いもの、良い人、良い時間をたくさん重ねると”品格”というところに行きつくと思います。
”品”とは若いうちから持てるものではないです。
若い方に「あなたは品格があるね」などとは言わないでしょう。
ある程度の年齢の方にこそ思うことです。
容姿がキレイ、仕草がキレイ、というだけでは無いです。
その人の内から醸し出すものを周りの人が感じるのが”品”です。
”品のある人”と言われたいのものです。
たとえ多少下品でもふざけた部分があっても、何となく品がある人というのはいます。
ただ善行だけを極めたらよいというものでもないのかもしれませんね。
酸いも甘いもいろいろと経験し、その経験をプラスに捉えられた人に与えられるものなのではないでしょうか。
50代になって自分らしい生き方をする
聞こえが良いのでよく「自分らしい生き方」といいますが、「自分らしい」っていうことの定義自体が難しいですね。
反対に「自分らしくない」と考えると、”無理している自分””が浮かんできます。
ということは「自分らしい」とは”無理のない自分でいられる”ということができるかと思います。
つまり、「50代になって無理のない自分でいる」ことが大切だと思います。
自分らしい生き方とは?
上で、「自分らしい」とは”無理のない自分でいられる”と書きましたが、”無理のない自分”というのも抽象的なような気がします。
無理のないとは、好きなように生きることのようにも思えますが、ちょっとニュアンスが違います。
誰からも規定されず、誰の評価も気にしないで、ただ自分の好みを追求することといえばただのわがままで我を張るのは結構無理しないとできません。
子供のころの自分と今の自分を見比べていただきたいのですが、本質的な部分ではそれほど変わっていないと思います。
周りの大人たちを見ても、本質的な部分は子供の時と変わっていないのではないでしょうか。
この本質的な部分を無理に変えない。
そして、今いる自分と”こうなりたい”という自分、”こうなりたい”の部分を捻じ曲げることなく追い求めることが”無理のない”、”自分らしい”となるのではないでしょうか。
なぜ50代で自分らしい生き方?
20代、30代ではなかなか”こうなりたい”も周りに左右されてしまいがちです。
仕事での得意先や上司、恋人や嫁、家族など色々な状況があり自分色を出すのも難しい場面も多いです。
40代後半からやっと自分はこうでありたいというのが貫けるようになってきたように思います。
これからです。
回りに左右されることなく、ある程度言いたいことが言え、やりたいことができる50代からの自分でありたいですね。
「お父さんは自由でいいね」と言われる
子供を見て「自由で好きなことができていいな」というと、「お父さんの方が自由やん」と言われました。
子供は自由で夢希望に輝いているのか?
- 無邪気で自由
- 夢があり、これから何でもできる
- 自分が好きに使える時間がたっぷりとある
子供に対し、こうした印象がありますが、実際に自分が子供だったころはどうでしたでしょう。
自由といわれても親からの制約が多く、小遣いも少しで夜遊びもできず、テレビのチャンネル権も親や年上の兄弟にあり、考えればかなり不自由だったような。
夢を語れといわれても漠然としていて、はっきりと見えるものはなく。
学校、習い事、宿題に追われけっこう夜まで勉強させられていた。
考えると子供にはあまり自由が無いですね。
「やれば何でもできる」という漠然とした思いだけはありましたが、何をして良いのやら見つかりません。
子供で自由を謳歌できたのは大学生の数年間くらいではないでしょうか?
それも今思えば恥ずかしいくらい親のすねをかじって遊ばせてもらっていただけです。
子供より自由な50代
子供が言う、「お父さんの方が自由やん」は本当かもしれません。
私は自営業で、好きなことを仕事にしています。
自営業をする前も面白いと思うことを仕事にしていました。
付き合いたくないなと思う人とは無理に付き合いません。
学校のように強制的に1年間同じクラスで毎日顔を合わせるなんてことはなく、経済的理由を省けばお客様を選ぶこともできます。
もちろん子供より多くの自由になるお金もあり、自分の中の裁量で趣味や付き合いに使えます。
やりたいことも親に与えられるのではなく、自分で決め、止めるのも自由。
必要な情報も、子供とは比較にならないくらいあらゆる手段で手に入ります。
いつ仕事をして、いつ遊びに行っても嫁に断りさえ入れておけば自由です。
サラリーマンでも有休を使えば平日に会社を休んで旅行に行くこともできるでしょう。
これらは子供でなくても若いうちはなかなかできないことかもしれません。
やはり50代になったからこそ許される自由というのも大いにあるように思います。
子供にうらやましがられるような自分でいたいものです。
生きがいをもっている
やりがいや生きがいを持っている人は魅力的ですよね。
良い歳の取り方をしている人は常に生きがいを持っています。
生きがいって、好きなことを突き詰めることだったり、愛する対象を持ち続けることだったりします。
趣味を多く持っておく方が良いという方もおられますが、一つのことを突き詰めてできるのも素晴らしいことです。
対象は何でもいいんです。
マニアックといわれようが、オタクといわれようが、もう50歳にもなれば好きなことをしていいんです。
他人に迷惑をかけない範囲で!
といっても、今”これ!”っというものが無いとなかなか難しいですよね。
何が生きがいかわからない方へ、子供のころに何に夢中になっていたか思い出して見てください。
- メンコに夢中だった
- 女の子に好かれることに夢中だった
- サッカーに夢中だった
- プロレスを見るのに夢中だった
もしくは、今まででうれしかったことを思い出してみてください。
- 漢字で100点取ったこと
- 家の手伝いをして褒められたこと
- お年寄りのお世話をして褒められたこと
- スキーが上手く滑れるようになったこと
まずは思い出したことをやってみましょう。
常に新しいことにチャレンジする
良い歳の取り方をしているなあと思う人は、常に新しいことにチャレンジしている人が多いです。
「歳だからできない」というようなことは言われません。
常に前向きで”やってみよう!”という気概があります。
ついついできない理由を言いそうになりますが、できない理由よりできる方法を考えるようにしましょう。
本当に年齢的にできないことなど少ないはずです。
- 少しづつなら始められないか
- 時間帯を調整すればできないか
- 場所を変えればできないか
- 何かをやめることでできないか
- 友人と一緒だったらできないか
など工夫すればできるはずです。
小さなことからでも良いので、ワクワクするようなことをはじめてみませんか?
今すぐでは無理なこともあります。
そういう時は書き出しておくと良いです。
できるかどうかより、やりたいという気持ちを持ち続けることが大切です。
できれば関連本などを買ってみるなど、できるところからでも取り掛かってみましょう。
自信に満ちあふれ、イキイキしている
良い歳の取り方をしている人は常に自信に満ちあふれ、イキイキしておられます。
自信とは、文字通り「自分を信じる」事ですが、これがなかなか難しい。
”根拠のない自信”を持てる方はうらやましいですが、普通はなかなかそうはいきません。
スポーツなどの世界では、キツイ練習をこなし、試合に勝ち進むということの積み重ねで自信となります。
過去の経験やトレーニングを自分のものにしていかれるんでしょうね。
では普通の人の普段の行動はどうなんでしょう?
普段から自信に満ち溢れている方、おられますよね。
人と比べて優位なものを持っていれば自信を持てます。
容姿端麗な方はいいですよね。
金銭的、物質的に人と比べて優位なこともわかりやすいですね。
そういうギラギラとしたものでなくても自信は持てます。
それは、自分の存在を認めてくれる人達がいることです。
たとえ容姿や能力が人と比べて劣っていても、人柄や一所懸命さなどその人の存在を認めてもらえれば自信となります。
自分を認めてくれる人が多ければ多いほどその人の自信につながります。
回りに認めてもらうだけの努力が必要になりますが、自信を付けることができます。
自分で自信を付けるにしろ、周りの方に自信を与えてもらうにしろ、それなりの努力が必要になります。
いずれにせよ、自信とは努力の裏付けなのでしょうね。
「やるべきことをしっかりとやる」ことで自信に満ちあふれ、イキイキできるのだと思います。
仕事上の自信
もう一つ、仕事上で自信につながるのはやはり経験値です。
それと、準備。
事前準備がしっかりとできていると、怖いものはありません。
あらゆる事態に対応できるよう事前準備をしっかりとしておくことで、自信につながり余裕をもって仕事ができるようになります。
人生の後半も楽しむ
良い歳の取り方をしている人は人生を楽しんでいます。
決して良いことばかりではないですが、良くない出来事も含めて人生を楽しむことをされています。
ものごとは気持ちの持ちようで変わります。
50代になると人生が意外に短いことに気づかされます。
ここで、「もうあと2・30年しかない」と考えるか「まだあと2・30年楽しめる」と考えるかで生き方は大きく変わります。
今の方が若い時より耳・目・舌も肥え、ものごとを深く味わえるようになったのではないでしょうか。
若い時は満月を見ても大して何も思いませんでしたが、いまなら「なるほどキレイなお月さま」と眺める余裕もでてきました。
コロナウイルスのような難題もあり、親の介護もあり、と色々とありますが、全て終わってみれば「よい経験だった、あれがあったからこそ」といえるようになりたいですね。
全ては気持ちの持ちよう、お金はかかりませんので是非取り組んでもらえればと思います。